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1月13日に母の出身地の鹿児島で催される、いとこの結婚式に、母や弟とともに出席することになった。母は先に現地入りしたが、私と弟はスケジュールの関係上、滞在できる日数がなく、ほぼ「とんぼ返り」となってしまう。しかしせっかくの機会、その往復くらいは楽しんでみたい。
そういうわけで今回は、往路に寝台特急「なは」を利用する。その「なは」は過去2回、いずれも鹿児島訪問時に利用している。一度は親族一同で霧島へ旅行した際、その往路に乗車した。二度目は、末期ガンで余命1ヶ月となった祖父の見舞いに向かったとき。西鹿児島(現・鹿児島中央)行きの「なは」は、神戸(三ノ宮)から母の実家のある出水まで直通するというのが大きな利点だった。
国鉄機関士だった祖父が亡くなった翌年の春、九州新幹線の新八代〜鹿児島中央間が開業した。同時に「なは」は熊本止まりとなり、直通のメリットは失われてしまった。その後も「なは」の退潮は続き、ついには鳥栖まで長崎行き「あかつき」と併結されるようになった。おそらく、九州新幹線が全通する2011年で役目を終えるのだろうと思っていたら、それを待たずして2008年3月に廃止されることが決まってしまった。利用者の減少と車両の老朽化は、想像以上に深刻だったらしい。
「なは」「あかつき」は、1月2日の福井旅行の際に、大阪や京都で見送ったのだが(その時点では結婚式出席は本決まりではなかった)、それからわずか10日で、今度はその中に乗り込むことになった。もちろん、これが私にとっての「なは」のラスト乗車になる。
寝台特急「なは」の旅
※今回の旅行で撮影したのは三ノ宮到着以降(1:55〜)の分です。
往路は、弟と2人での行程となる。指定を受けているのは1号車、喫煙車両だ。二人ともたばこは吸わないし、あのニオイは苦手なのだが、切符を買うのが間際になったために、そこしか空いていなかったのだ。3連休中という理由もあろうが、やはりそろそろ「惜別乗車」組が増えてきているのかもしれない。
いまや銀色の電車ばかりが出入りする三ノ宮のホーム。その外側のホームには通常、新快速が発着し、その時刻が近づくと乗車位置には長蛇の列ができる。しかし、「なは・あかつき」が入る今は様相が異なる。ちょうど新快速が出た直後で人の波は引き、ホームはどこか厳かな雰囲気で、九州まで達する客車を迎える。
独特の臭気の籠もる喫煙車に乗り込み、指定のベッドに入る。上下を取っているので、下段を弟に譲って自分は上段に上がる。列車はきらびやかな神戸の街を見ながら、ゆるやかに加速してゆく。私たちの区画を含め、ベッドはほぼ客で埋まっているようだ。
荷物を置いてそろそろ落ち着こうかという頃、明石海峡大橋が近づいてくる。今夜は緑の灯りでライトアップされている。近くの人も撮影しようとしていたが、あっさりと通過してしまった。こういうのは、前もって構えておかなければなかなかキャッチできない。
姫路を出て、22時を過ぎると車内は減灯された。明日の予定もあるので、さっさと自分のベッドに入る。実は寝台上段というのは初めてで、どんなものかと思ったが、出入りに気を遣うことを除けば、引っ込んでいるぶんかえって休みやすい。三ノ宮で買い込んでおいたビールと柿の種を口にした後、割とすぐに寝てしまった。自分個人の旅行の場合は、気分が高揚するためか、初日の車中泊では大抵寝付けずに苦労するのだが、今回は所用での利用というのがかえって幸いしたのだろう。
1月13日。朝は5時半頃に一度目が覚めた。もう九州入りしているはずだが、1月ともあって、夜明けはまだまだ遠い。あとしばらくと息を潜ませていると、次に気づいたときには鳥栖に停車していた。この鳥栖で後方の「あかつき」を切り離し、「なは」単独で熊本を目指すことになる。ちなみに、この鳥栖停車の間に、博多を7分後に出た下り一番目の特急「リレーつばめ31号」が先に出発する。九州では、こうして特急が特急を追い抜くことも珍しくなかった。
「なは」の旅も残り少なくなってきたので、人通りが少ないうちに忍び足で車内を巡っておく。テカテカの化粧板が張り合わされた内装、金属色むき出しの扉、薄暗い洗面台など、今となっては懐かしさというよりは陳腐さが先に立つが、これももう味わえないとなると、今のうちに十分堪能しておかなければ、と思う。
6時45分。大牟田を前にして、姫路以来の減灯が解除され車内放送が再開される。大牟田を出れば次はもう終点の熊本なのだが、外の暗さと車内の静けさのせいで、ちっともそんな雰囲気がしてこない。近畿と比べれば西に来ている分、夜明けも遅い。日本の中だがちょっとした「時差」を体感する。隣の区画が既に空いていたので、その下段ベッドに腰掛けて外を眺める。
ようやく窓の外に明るさが見え始める。列車は一定のリズムを刻み、どことなく緩やかなペースで田原坂越えにかかる。帰省の折には何度も通ってきた道のりだが、妥協のない走りで駆け抜ける電車特急とはまた違う、悠然とした進み方である。この足の遅さが、特に九州内ではネックになり、寝台列車の立場を厳しいものにしてきた感もあるのだが・・。
田原坂を越えてもまだ田園風景が続くが、惑わされてはならない。ほぼこの景色のまま熊本駅に達してしまうからだ。油断していると、荷物を引っかかえて慌てて列車を降りる羽目になる。自分のベッドに戻り、荷物をまとめ下車の準備をする。線路に沿ってニョキニョキと立ち並んでいるのは、急ピッチで建設の進む九州新幹線の橋脚だ。
7時36分、「なは」は熊本駅の1番ホームに到着した。先頭の赤い機関車には「なは・あかつき」と併記されたヘッドマークが掲げられていた。手抜きな感じもするが、客が少なくて廃止しようかという列車の、鳥栖〜熊本間だけのためにわざわざ交換せよというのも難儀な話か。椰子の木があしらわれた、「なは」単独時代のヘッドマークが偲ばれる。その機関車の後ろには電源車、そして客車が4両と、都合5両の紺色の車両がつながっている。ブルートレインとしては短い。明るい中で見ると、客車の傷みも目立つ。これが、「なは」の末路である。
回送列車として出発するまでの数分の間、ホームはしばし撮影会のような状態になる。そして出発を見送る。自分たちが一晩を過ごしてきたベッドの区画が窓越しにちらりと見え、通り過ぎてゆく。
「なは」の余韻を残す1番線に、新八代行き特急「リレーつばめ33号」が入ってきた。側面には、2008年の大河ドラマ「篤姫(あつひめ)」のラッピングが大々的に施されている。幕末、薩摩藩から徳川将軍家へ輿入れした篤姫が主人公とあってのPRだが、この特急自体は薩摩(鹿児島)までは達しない。もっとも、JR九州は「リレーつばめ」と九州新幹線「つばめ」を一体の扱いにしているので、これで良いのだろう。
新幹線の工事現場を沿線のあちこちに見ながら、特急は八代平野を快調に飛ばす。ここは特急がとりわけ速度を出す区間で、「なは」の緩い走りとは比べるべくもない。時計は既に8時を指すが、やっと朝日が射して1日が始まったという感じ。
新幹線ができたがために、「なは」利用のさいには熊本・新八代と2度の乗り換えを強いられるようになった。帰省に「なは」を愛用していた母も、そうなってからは乗り換えを敬遠して利用していない。せめて「なは」が新八代まで入っていてくれたなら・・と思うが、廃止前提の列車のために面倒なことはしたくなかった、というのが本音なのだろう。
新八代での慌ただしい乗り換えを経て、鹿児島中央行き「つばめ33号」に乗り込む。乗りこんだは良いが、どうも様子がおかしい。私たちが席を取っているはずのところに、団体ご一行様が陣取っている。仕方がないのでデッキに立っていると、まもなく車掌が来たので確認してもらう。
切符を見た車掌氏いわく、「これは日付が昨日になってますね〜」
なんと、新幹線の指定席特急券の日付が1月12日、つまり前日になっていたのだった。
車掌氏:「寝台列車と同時に買うと、その出発日と同じ日付で切符を出してしまうことが時々あるんですよ。」
確かに、この切符を買った旅行会社の店員は頼りなさそうな人だった。(日程がバラバラな3人分の切符を一緒に買ったことで、混乱させてしまったせいもある。)まったくもってバカバカしいミスだが、指摘されるまで気づかなかった自分も自分だ。日付は完全に盲点だった。となると先の「リレーつばめ」も前の日の指定席に乗っていたことになるが、そちらはたまたま、今日同じ席に指定された人がいなかったのだろう。
出水までは時間にして20分ほどだし、このままデッキでもいいかとも思ったが、車掌氏が車両端の予備席のような場所に案内してくれたので、せっかくなのでそこに座る。向こうにとっては慣れた対応なのだろう。
そんなこんなで出水に着き、その後すぐに着替えて結婚式へ。晩はいとこの実家(つまりおばの家)で食事会だったが、自分は途中で抜け出し、母親や別のいとこたちと一緒に「篤姫」を見ていた。薩摩が初期の舞台となるだけに、地元での注目度は高いようだ。ちなみに弟は仕事の都合があって、その日の夕方には帰途に就いた。まさに弾丸ツアーである。
翌14日、母と私は祖母の見送りを受けて出水を出発した。鶴の渡来地という以外にはべつだん特色の無かった出水だが、新幹線開通を機に名物づくりにそれなりに力を入れており、「黒豚弁当」「えびめし」といった駅弁が売り出されている。弁当自体は以前からあったのかもしれないが、在来線時代の出水駅で弁当が売られていた記憶はないので、特にPRをし出したのは新幹線開業を機にしてのことだろう。昼食用に「えびめし」を購入。母いわく、駅売りの弁当は少し遅いと売り切れて買えなくなるらしいので、あまり数は用意されていないのだろう。
新八代行きの「つばめ40号」は、出水平野を左に見ながらするすると加速し、熊本との県境の丘陵地にさしかかる。在来線時代には海沿いを進み、鹿児島との別れをしみじみ覚える区間だったが、今はトンネルを出入りしながら、ミカン畑の向こうにちらちらと海を見る程度。そうするうちに次の停車駅、新水俣に到着する。
新水俣からはほとんどがトンネル区間。出水から20分ほどの短い行程で、九州新幹線の旅はあっけなく終わりを迎える。
新八代で特急「リレーつばめ」に乗り換える。鹿児島本線の特急には「ガンガン突っ走る」というイメージがあり、特に昨日「なは」から乗り換えたときには、えらく速く感じられたのだが、新幹線の後となるとさすがに、地を這う緩い走りである。九州新幹線全線建設が決まったとき、山がちな八代以南はともかく、八代以北には速く走れる在来線特急があるのに、あえて巨費を投じて新幹線を造る意義があるのだろうかと首をひねったものだが、この落差を体験するとやはり、在来線と新幹線には決定的な隔たりがあるのだなと思う。(それと採算性云々とはまた別問題だが。)
私たちが乗っている4号車は、半室がコンパートメント席、もう半分が一般席なのだが、座席のピッチが妙に広い。あとで調べると、この一般席部分はもともとビュフェだったが、運転区間が新八代までに短縮された際に改造されたとのこと。頭上の荷物入れがないため、足下を広くしているのだという。今回は手持ちの荷物が少ないので、席を広く使えて得をした気分になる。
ここ数年、九州に来るたびに新幹線の建設は目に見えて進んでいるが、すでにかなりが実体化してきた。場所によってはもう、その上を列車が走っていてもおかしくないくらいにできあがっている。しかし新幹線が全通すれば、他の線からの乗り入れを除けば、多分この鹿児島本線を走る特急はなくなってしまうだろう。私にとって、「いなかへ行く」という思い出とセットになったこの路線への思い入れは別格であり、新幹線の完成は、その変容を意味する。長く生きればそれだけ多くの変化を見せられるのは当たり前なのだが、複雑なところである。お年寄りが何かと昔話をしたがる心境が、少し分かるようになった気がする。
熊本手前で、‘お昼寝’中の「なは」の客車を見かけた。往路に乗ってきた車両は前の晩に京都へ向かったはずなので、ここにいるのは入れ替わりにやってきた別の編成だが、通りすがりの目にも留まるほどの、車体の傷みのひどさが痛々しい。1月2日に見たときにも、適当にパテで穴を埋めて上からペンキを塗りました、という風の補修跡に愕然としたが、そのときは夜だったので、紺色のカラーリングと相まってさほど目立ちはしなかった。今は白日のもと、さらし者もいいところである。
熊本からは客は若干増える。出水や新水俣に停まる「つばめ」に接続する「リレーつばめ」は停車駅の多いタイプで、上熊本、玉名などに停車する。
瀬高あたりから、右手に建設中の新幹線の高架が沿う。瀬高、羽犬塚(はいぬづか)と特急停車駅が続くが、なぜか新幹線駅は、その中間にある船小屋に造られることになっている。現状、快速さえも停まらない小駅の船小屋が選ばれたのは、おそらく瀬高と羽犬塚双方の便宜(メンツ)を考えての妥協策だろう。しかしこれでは、どちらに出るにも乗り換えが必要となる。どうせ乗り換えなければならないのなら、快速で10〜15分程度の久留米でも良さそうなもので、船小屋に新幹線駅を設けることの意義そのものが分からなくなってくる。ここには、様々な政治的思惑が絡んでいそうだ。
久留米を過ぎ、筑後川を渡った先で、工事中の高架が離れてゆく。新幹線はこの先博多まで別ルートを辿るので、リレーつばめの車内から建設中の様子を見るのはここまでとなる。「リレーつばめ」は博多に向け、最後の力走を見せる。今後、列車で鹿児島に行く機会が何度あるか分からないが、鹿児島本線で特急に乗るチャンスはもうそう多くはないだろう。
あとは博多から新神戸までの新幹線の行程を残すのみ。「レールスター」がお気に入りの母は、約1時間待って12:59発の「ひかり462号」に乗ることにしている。一方私は、せっかくのチャンス、この際に新旧新幹線の乗り比べをしてみたいと思う。
博多からのランナーは、12:28発東京行きの「のぞみ26号」。昨年7月にデビューした新型車両「N700系」が使用される。登場時は3往復だけで、その後順次増やされているが、この26号は7月時点からN700系で運転されている。ちなみに、私が「のぞみ」に乗るのも、これが初めてである。
停車するN700系を見るのはこれが初めてなので、まずは外側をじっくりと拝見する。先頭部は700系に切れ込みが入ったような形状で、工学的なベストを追求した結果なのだろうが、ますます愛嬌がなくなった。車両のつなぎ目部分の幌は隙間を埋めるように巡らされ、全体として凸凹のない形状となっている。写真で見比べて、700系より側面窓が小さくなっていることには気づいていたが、改めて実物を見ると、まるで旅客機の窓のようだ。
車内はまだ「新車の香り」がする。JR九州車両のような奇をてらった装飾は一切なく、あくまで量産を前提としたそつのない造り、という印象を受ける。ちょっと驚いたのは、客室内の案内や広告などが流れる電光表示器。車内のものにしてはかなり大きく、どこからでも読めそうだ。おもしろみはないが、とにかく乗り物としての居住性・機能性に関しては、細かく配慮されているのではないかと思う。
博多を出たのぞみ号、窓の外へ向けてビデオを撮影しようとしたが、ちょっとうかうかしているうちにホームを離れて、中途半端なところからのスタートとなってしまった。その加速たるやすさまじい。その際の映像は後に紹介する。
小倉からは乗客が増え、関門トンネルをくぐって九州を去る。小倉から広島まで、この「のぞみ26号」は45分で走る。もちろんこの区間では最短の所要時間である。山ばかりの特徴のない区間だが、列車は最高300km/hの、妥協のない走りで突き進む。窓際に座る私には、さすがに風切り音や振動が気になる。落ち着いて乗るにはむしろ、通路側が良さそうだ。
徳山手前に来て、列車は少しずつ速度を落としてゆく。駅がカーブに位置するため、通過列車も減速を余儀なくされるのだが、そのスピードの落とし方が細かい階段状というのか、意識していなければ気づかない変化だが、緻密にコントロールされているようだ。とりわけ運転本数の多い東海道区間では、こうしたシステムが物を言うのだろう。しかし運転士の「腕前」が入る余地は、ほとんどないのではなかろうか。
徳山を通過すると再加速し、この先は長いトンネルが連続する。そろそろN700系の走りにも飽きてきたあたりで、列車は広島に到着する。
出発するのぞみ26号を見送り、次に乗り込むのはホームの向かいで出発を待つ、新大阪行きの「こだま648号」である。この列車は0系、つまり最新鋭から最古参へのリレーということになる。
0系のこだまといえば、昨10月の旅行のさいに、新倉敷から三原まで乗車している。その時点ではまだ、0系の引退時期はアナウンスされていなかったが、N700系が増備されれば当然0系の最期は近づくわけで、どのみち遠からず全廃されることが予想された。そしてその後、08年11月をもっての引退が正式に伝えられた。覚悟はしていたこととはいえ、タイムリミットが定まった以上はいよいよ、乗れるうちに乗っておかねばならない。今回はちょうど、その絶好の機会となったのである。
広島駅を出たこだま648号だが、スピードがなかなか上がってこない。さきのN700系は「さあ加速するぞ」という勢いが怖いくらいに伝わってきたが、こちらは「本当に加速しているのか?」という実感。「つばめ」から「リレーつばめ」に乗り換えたときの落差に近いものがある。市街地のビル群を抜け、民家が目立ち出すころになってようやくスピードが乗ってきたかなと思うと、トンネルに入ってしまった。下は、先のN700系と加速を比較した動画。
0系の座席は横4列。隣に人が乗ってくるほど混んでいないので、ゆったり座れる。最高220km/hの0系だと、景色の流れも緩やかだ。N700と比べて、1枚当たりの窓の面積は倍くらいありそうだ。N700系の窓の小ささは、ひとつには空気抵抗のことを考えてだと思うが、あまり窓がワイドに開かれていると、高速で流れる風景が目に入ったときに疲れそうなので、そのあたりも考慮してのことかもしれない。客の多さと走りのせわしなさでろくに落ち着けなかったN700と比べ、時間はかかるがなかなか優雅な旅だと思う。
新幹線版「鈍行の旅」の様相を呈するこだまの車内で、出水で買ってきた「えびめし」を開く。その名の割に、具材としてのえびはいささか寂しい。しかし鮮度がよいのだろう、弁当のえびに付き物の臭みはなく、全体として上品な味わいだ。変に奇をてらうより、好感が持てる。
東広島、新尾道は、後からできた駅だけあってすぐ裏に民家が並び、およそ新幹線駅の雰囲気がしない。こんな風景をじっくり見られるのも「こだま」ならでは。福山では、ホームに人が多いが、乗り込んでくる人はほとんどいない。岡山以遠には次に来る「のぞみ28号」のほうが先に着くため、先を急ぐならこだまに乗る意味がないのだ。
次の新倉敷で、その「のぞみ28号」に道を譲るために4分ほど停車する。まだN700系の列車はあまり多くないが、この28号は先の26号に続いてN700系で運転される。従って、ここでは最古参と最新鋭の顔合わせが見られることになる。通過シーンをビデオに収めようと列車の最後部へ向かったが、待ちかまえる間もなく「のぞみ」がやってきたので、慌ててカメラを向ける。おかげでまたも中途半端な映像になってしまった。
今回は岡山で「こだま648号」を降りる。到着が少し遅れたため、乗降が済むと慌ただしく去って行ってしまい、余韻を味わう間もなかった。引退まで10ヶ月半。もう一度乗る機会はあるのだろうか。
5分ほど後に、博多からの「ひかり462号」が到着する。母が乗っているはずの列車である。しかし私はこれには乗らず、発車を見届ける。ターゲットは、その13分後の「のぞみ30号」だ。これは500系で運転される。N700系の増備で、近いうちに「のぞみ」の任を追われ、0系に代わって「こだま」用になるといわれており、今回のリレーのアンカーにはまさにふさわしい。私は500系にまだ乗ったことがなく、「のぞみ」で走るうちにその走行を体験しておきたいという願いもあった。
乗り込むのは自由席となる。「こだま」では余裕があったが、もちろん「のぞみ」ではそういうわけにはいかない。今日は3連休の最終日、ホームは人でごった返している。もとよりそれは覚悟の上だったが、ホームの電光掲示板を見ると、のぞみ30号は「全席禁煙」・・あれ?
入ってきたのは案の定、円筒型のグレー車両ではなく、今日すでに何度かお目に掛かってきたN700だった。少し古い情報で「のぞみ30号は500系」と認識していたのだが、いつのまにか入れ替わっていたのだ。自分のリサーチ不足だから仕方ないが、3連続で回ってくるとは、N700も知らぬ間にずいぶん勢力拡大していたものだ。
新神戸までの30分超は、当然ながら立ち席となる。通路からデッキまでいっぱいで、デッキの仕切りの自動ドアも開きっぱなし。自分の視点からだと外も見えない。さっきは席が狭い、風切り音が落ち着かないなどと思ったものだが、今思えば贅沢な不満だ。
姫路で先行の「こだま648号」を追い抜き、「ひかり462号」に遅れること6分、新神戸に到着した。