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 冬将軍の猛威に・・・


 2005年12月26日
 市場→福知山→鳥取→伯耆大山→岡山→播州赤穂→市場

  ここ十年来、私の年末年始の恒例行事となってきた「雪見旅」だが、近年は暖冬続きで、北へ北へと進まないとお目当ての雪景色に巡り会えない状況が続いていた。昨2004年は、12月になっても一向に雪が降らなかったが、私が旅に出た29日ごろからちょうど寒波がやってきて、折良く新雪を見ることができた。

  この2005年は一転、12月初旬から寒波が襲来して居座り、日本海側を中心に繰り返し大雪を降らせた。おかげで、風邪を引きやすい私の体調はひどいものだったが、旅心はかき立てられた。しかし、私も三十路の域に達して、以前より多忙の身となり、事前に周到な予定を立てることが難しくなった上に、体調の問題もあり、今回の旅行の日取りが確定したのは前日のことだった。それも、「他に都合のいい日がない」という理由での強行であった。

  今回は日帰り日程となるので、兵庫北部から鳥取を目指すことにし、前の晩に時刻表を開いて急ぎダイヤの確認。まさにその折、山形の羽越線で特急「いなほ」が脱線したとのニュースが飛び込んできた。この時点ではまだ事の詳細はつかめなかったが、車体が転覆し、かなりの大事故であることが想像できた。私自身、庄内平野は冬の旅行で何度か通過しているが(昨年の旅行で酒田を訪ねたときに、現場を通過している)、防風柵が立ち並び、いかにも過酷な環境であることは察せられた。一度夜中に通ったときには、突風に車体が繰り返し揺さぶられ、怖い思いをしたこともある。それゆえ、この事故も理解できないものではなかったが、それにしても脱線転覆にまで至るとはどういうことか。様々な悪条件が偶然に重なってしまったとしか考えられない。

  風で列車が飛んだといえば、かの余部鉄橋の客車転落事故を思い出す。今回はまさにそちらを目指すことになる。まさか脱線はなかろうが、強風で列車が通れなくなる可能性は十分にある。そうなったらそうなったで、予定を考え直さなければならない。それにしても、今年の「冬将軍」は、十年来の鬱憤を晴らすかのように、暴れかたがひどい。

  市場 6:05 → 西脇市 6:40 [普通 1321S/電・103系]

  加古川線市場駅の駐車場に車を置き、下りの一番電車を待つ。やってきた電車には、前面に大きな「月面」が描かれていた。加古川線電化1周年を記念して登場したばかりのラッピング電車で、その名も「銀河の旅」という。夜闇の中に現れると、ぎょっとさせられるデザインだ。(電化時に登場した「目の電車」ほどではないかもしれないが・・・。)ただし車内に入ってしまうと、他の電車となんら変わりない。相変わらず、車内広告が実に少ない。もともと都会を走っていた通勤電車ゆえ、広告を入れるスペースがたくさんあるのだが、そのほとんどが空のままになっている。

  西脇市に着く頃、ようやく空が薄明るくなってきた。ここで何と、「銀河」と「目」の対面が実現した。「銀河」と入れ替わりに加古川へ向かう列車の後ろ2両が「目」で、その出発まで両者が並んだ。この薄暗さだと、なおさらインパクトがきつい。

西脇市に着いた「銀河の旅」(右) 左は目の電車 

  西脇市 7:01 → 谷川 7:29 [普通 2323S/電・125系]

  西脇市から谷川までの区間は、ディーゼル時代から今に至るまで、いつ乗っても1両編成である。その1両というのが地元にとっては幸いして、新型電車の125系が入っているが、今日も利用は寂しいものだ。西脇市では晴れ間がのぞいていたが、しだいに雲に覆われ、雨がぱらついてきた。沿線には、数日前に降った雪がまだ残っている。

  12月22日、大寒波の襲来で、兵庫南部の平野部でも雪が積もった。ふだん雪が舞うことはあっても積もることはまずないので、その時の混乱たるやひどいものだった。その雪も南部ではほぼ解けてなくなったが、ここまでくると降った量も多かったのだろう。降り立った谷川のホームにも、まだいくらかの雪が残っていた。

  谷川 7:38 → 福知山 8:20 [普通 2525M/電・113系]

  福知山線を北上するにつれて、雨が雪に変わり、積雪の量も多くなってきた。まだらに残っていたものが全体をすっぽり覆うようになり、日本海側へ近づいてきたのだと実感する。

  山陰本線との接続駅である福知山は、この10月から高架駅に切り替わった。前々から工事は行われていたが、訪れるたびに「本当に進んでるの?」という印象を受けていたので、やっと完成したんだなと思う。そしてここもまた、ありふれた近代駅になってしまった。2分の接続なので、すぐにホーム向かいの豊岡行きに乗り換える。

雪の舞う福知山の新ホーム。豊岡行きは2両のワンマン電車 

 期待と不安

  福知山 8:22 → 豊岡 9:33[26] [普通 425M/電・113系]

  ここから山陰本線を西へと進んでゆくことになる。和田山にかけては山越えとなり、しだいに谷間に入ってゆくが、意外にも空は明るくなってきた。青空の下、新雪が山一面に粉をふったように輝き、線路際の田畑も一面真っ白。何物にも汚されていない、まさに純白の世界だ。車窓の外にカメラを向けて、夢中でシャッターを切り続けた。まだ朝の8時台だが、この光景に出会っただけでもう、今回の旅は収穫十分だったなと思う。今後の旅程にも期待が持てる。

朝日に輝く新雪 

  2両の電車は勾配を力強く駆け上がり、上夜久野から峠を越えて兵庫県入り。和田山から乗客も増えてきた。15センチほどの積雪の中、列車は円山川沿いに広がる盆地を駆け足で進んでゆく。ところが、次の養父(やぶ)で、特急の行き違いを待つという。時刻表を見てみたが、それに該当する列車はない。おかしいなと思っていたら、グレーのディーゼルがホームの向かいを通過していった。鳥取始発の特急「はまかぜ2号」、定刻より1時間以上も遅れている。こちらの養父発車は定刻より7分遅れとなった。

  余部鉄橋で強風による通行止めでも食ったのだろうか。だとすれば不安な材料だ。今回は綱渡りの接続予定が多いだけに、下手をすれば大幅な計画変更も覚悟せねばならない。

  車窓から風景を眺めていると、面白いことに気づく。屋根の上などに積もっている雪が、段々に層をなし、断面がバウムクーヘンのようになっているのだ。おそらく、いちど積もった雪がずり落ちかけたところに、新しい雪が積もり、その繰り返しでそんな形状になったと思われる。寒波の波状攻撃の跡が、こんなかたちで残っているのだ。

  結局豊岡には7分遅れのまま到着し、次の浜坂行きにはすぐの接続で、慌ただしく乗り換える。

  豊岡 9:34[32] → 浜坂 10:41 [普通 167D/気・キハ40系]

  2両編成のディーゼルカーは、もっさりとした出足で豊岡を出て、しばらくは架線の下を走る。いつの間にか空は再び暗くなり、日本海沿岸らしい雰囲気になってきた。線路に沿う円山川は河口が近いにもかかわらず、両側に山が迫ってきて玄武洞駅。ここで普通列車と特急「北近畿」、2本の列車と行き違う。川には流れがほとんどなく、谷全体にみなぎっている。おそらく、河口との標高差がほとんどないのだろう。この水の抜けにくい地形が、2004年10月の台風上陸のさい、豊岡に大水害をもたらした。

厚く雪の積もる玄武洞駅のホームと円山川 

  この3月に城崎から改名した城崎温泉駅を出ると、山陰線は非電化区間になり、「本線」といいつつも鄙びたローカル線の様相を呈してくる。竹野から海岸方面へと出て行くにつれて雪が吹き降りとなり、見通しが悪くなってきた。山陰の日本海沿岸でこれだけの本格的な雪景色に出会うのは、実は今回が初めてである。

「鉛色」の描写がふさわしい日本海 

  香住で若干の乗降があり、列車はそのまま何事もなく発車。どうやら、余部鉄橋の規制は免れそうだ。登り勾配にかかり、を出るとトンネルをくぐり、余部鉄橋にさしかかる。昨年5月の旅行の折に、これで最後になるかもしれないと覚悟して、名残惜しんで4度も渡った橋だが、1年半のうちにあっさりと舞い戻ってきた。もっとも今回は、降りて立ち寄る余裕がないので、通過するだけである。

余部鉄橋上より。雪に覆われた集落と荒れる海 

  トンネルを出るや、入り江の集落の上空に放り出される。これまで何度も味わってきた余部鉄橋ならではの醍醐味だが、そこに広がる情景は、これまでに出会ったことのない種類のものだ。眼下の民家は揃いも揃って屋根に雪を被り、日本海の水平線は灰色にかすんでぼんやりしている。まさに冬のただ中にある集落の風景だ。

  餘部を発ち、トンネルを抜けると、列車は浜坂へ向けて勢いよく下ってゆく。現在のダイヤでは、普通列車はすべて浜坂で乗り換えさせられる。浜坂の前後を直通するのは、特急「はまかぜ」の1往復と寝台特急「出雲」(※これも06年3月で廃止)だけ。「本線」の名が泣く惨状だが、最初からそうだったわけではない。15年前の時刻表を見れば、浜坂で乗り換えを要する列車のほうが少数だったのである。

  風の規制を受ける余部鉄橋の存在が、分断化の一因となったことは明らかだろう。数年後にはコンクリートの橋に架け替えられ、風の規制も緩和されることになるが、一度寂れたものを盛り返すのは難しかろう。もちろんそれだけが衰退の原因というわけではないにせよ、何かやるせないものを感じる。

 新・とっとりライナー

  浜坂 10:42 → 鳥取 11:25[26] [普通 529D/気・キハ121]

  浜坂では1分の連絡。乗り換えた鳥取行きは、新型のキハ121気動車が1両。座席がざっと埋まる程度の乗客が居るので、後方の運転台付近に立つ。

  諸寄から山越えにさしかかり、同時に兵庫県から鳥取県へと移って行く。沿線にほどほどに雪が積もり、その中を列車は軽快に進んで行く。東浜付近では少しの間、荒れた海が見える。

  ここからは海を離れ、細かなアップダウンを繰り返しながら鳥取を目指してゆく。「日本海沿いを走る」というイメージの強い山陰本線だが、ベッタリ沿っているわけではなく、実際に海が間近に見えるのはごく一部の区間だ。むしろそれゆえにこそ、たまに目にする海岸風景にインパクトを覚えるのだろう。

雪道をゆく。列車後方を望む 

  山を出たかと思うと、いきなり立派な高架線路に乗って鳥取の市街地へ向かって行く。左側から、因美線の線路が沿ってくる。智頭急行経由の特急「スーパーはくと」があちらを走るようになって、近畿と鳥取を結ぶメインルートは完全に取って代わられてしまった。

  鳥取は近代的な高架駅で、それなりの賑わいがある。京都方面から到着する「スーパーはくと」が遅れるとアナウンスされているが、その理由がなんと、「北陸地方の雪」だという。北陸方面からの特急列車の遅れで、大阪あたりのダイヤが乱れたか、接続を図るために待たされたのだろう。さすがは全国ネットのJR、何がどこに影響するか分からない。

  鳥取 12:18[17] → 伯耆大山 13:45[30] [快速「とっとりライナー」 3427D/気・キハ121]

  次に乗るのは、米子方面行きの快速「とっとりライナー」だ。2001年に、山陰本線を西側から福知山まで乗り通したときには、この列車はキハ58系で運転されていて、「急行」を彷彿させる力走を披露してくれた。その後、2003年に鳥取〜米子間高速化工事が完了し、それに伴って車両も新型のキハ121,126に代わった。走りの性能は確かなのだろうが、角張ったステンレス車体に、赤いシールかパネルかを貼り付けた安っぽいデザインは、いかにも制作費を節約しましたという風で、いまいち好感触が持てない。外見に贅を尽くす必要はないにせよ、もう少し見栄えを工夫することはできないものか。

鳥取エリアの高速化に伴い導入されたキハ121 

  キハ121は1両でも運転できる両運転台車で、浜坂から乗ってきたのは単行だったが、「とっとりライナー」は2両編成を組む。鳥取東西の速達列車ということで多分それなりに混むだろうから、早めに乗り込んでおく。駅で購入した「かに寿し」を開く。この弁当は12年前に初めて鳥取を訪れたときにも購入したものだ。酢の効きがほどほどで、食べ応えもある。蟹の味がもう少し欲しいところだが、駅弁としては十分。

鳥取の名物駅弁「かに寿し」 

  席がおよそ埋まった状態で、「とっとりライナー」は鳥取を発つ。さすがに快調な出足を見せるが、エンジンからの音や振動が結構ダイレクトに伝わってくる。新型気動車は概して走行性能が高いが、こういうところに質の差が出てしまう気がする。

  次の湖山で早速、対向列車の遅れで待たされる。上りの「とっとりライナー」は、こちら以上に混雑している。空は明るくなったかと思うと雪やみぞれが舞いだす、日本海側らしい不安定さが続く。

  通過駅の松崎で、またも列車は停車する。次は停車駅の倉吉だが、その倉吉駅が一杯なのだという。やはりどうも、全般にダイヤが乱れ気味になっているようだ。鳥取でアナウンスされた、北陸の遅れがこんなところにまで影響しているのだろうか。しばらく待たされた末に、やってきたのは上りの特急「スーパーまつかぜ」だった。「まつかぜ」といえば、かつては大阪と博多を北回り(福知山線・山陰本線経由)で結んだロングラン特急。その愛称は、福知山線が電化した1986年以後お蔵入りになっていたが、鳥取県内が高速化された2003年、「スーパー」の名を冠して、鳥取・島根県内の特急として復活した。ステンレス車両の2両編成は、あっという間に走り抜けていった。

  倉吉で客の多くが入れ替わり、ここからは大山(だいせん)山麓の高台をのびのびと走って行く。もともとスピードの出ていた区間だったが、これぞ高速化の効果か、妨げるものなく新型車の本領が発揮されているようだ。沿線の雪は減り、北側の空は明るくなり、晴れ間ものぞく。時折、水平線が見下ろせる。大山のある南側はさすがに雲隠れしている。

大山側を望む。沿線の積雪はほとんどない 

  さて、この列車には伯耆大山(ほうきだいせん)まで乗り、次に6分の接続で伯備線の新見行きに乗り換える予定だったが、列車はすでに15分ほど遅れている。当然、向こうが定刻で出てしまうと接続がとれないが、一応運転士が確認をとり、待ってもらうことになったようだ。

 深雪の中の山越え

  伯耆大山 13:46[36] → 新見 15:28[11] [普通 826M/電・115系]

  伯耆大山では、ホーム向かいに新見行きが停まっており、「とっとりライナー」からの乗り換え客を待ち受けてすぐの発車。この時点でこの列車も、定刻からは10分遅れとなった。

  ここからは山間へ入って行くので、雪量は増えてゆくだろう。案の定、沿線には再び積雪が目立ちだす。谷が狭まり、それに伴って積雪も深くなる。

  根雨で、特急「やくも」の対向待ちの停車。その特急もなかなか現れない。伯備線も北部はほぼ単線なので、ダイヤの乱れを長々と引きずってしまうのだろう。やがて、ホームの向かいを「やくも」が足早に駆け抜ける。根雨出発は22分遅れ。

根雨駅で小休止する伯備線のワンマン普通電車 

  日野川のなす谷間はさらに深まり、繰り返しカーブを切りつつ列車は進んで行く。ワンマン電車なので後方運転席に人はいないが、無線連絡のものと思われる声がしきりに聞こえてくる。ダイヤの乱れによるものか、除雪の安全確認も必要なのか。ただでさえ運転しにくい状況で、運転士はさぞや気を遣うだろうと思う。

雪は更に深く、重く 

  空の色は暗く、重い。辺りの景色はかすみ、線路際にはうず高い雪の壁。東北や新潟以外で、これほどの積雪を見たのは初めてだ。生山(しょうやま)で再び特急待ち。遅れは更に広がって30分ほどになった。伯耆大山を出る時点では席をざっと埋めるほどにいた乗客が、今やほとんど残っていない。

  登り詰め、鳥取県最後の駅となる上石見(かみいわみ)。ホームは人が通る場所だけ除雪され、高さ1メートルを超えようかという雪の壁が視界を遮る。駅名標などもすっかり埋もれてしまっている。

上石見駅。ホームにこれだけの雪の壁が 

  山を越え、岡山県に入ると、下りの一途にかかる。積雪は見る見る減ってゆき、空も明るくなってゆく。日野川の流域は、ちょうど雪雲の吹きだまりとなる場所だったのだろう。芸備線と合流する備中神代(びっちゅうこうじろ)では、ホームの積雪は15cmほどになった。終点新見到着は、定刻より17分遅れ。久々に見る日の光だが、既に夕刻の雰囲気になりつつある。

  新見 15:35 → 岡山 17:25 [普通 856M/電・115系]

  吉永行きの電車に乗り換えて、伯備線をさらに南下する。もう積雪はほとんどない。日陰にその痕跡が見受けられる程度だ。

高梁川のなす谷の、至る所に石灰岩の白い岩肌が切り立っている 

  高梁川の谷はしだいに広がり、傾く太陽の陰が延びてくる。備中高梁から複線となり、ようやく「特急街道」らしい貫禄が見えてくる。

美袋(みなぎ)駅の古風な駅舎 

  倉敷で山陽本線に合流し、伯備線の旅も完結。岡山到着時には既にほぼ真っ暗になっていた。

  岡山 17:48 → 播州赤穂 18:52 [普通 462M/電・115系]

  あとは帰りの一途だが、時間も時間ゆえ、岡山発の列車はかなり混雑している。今回は接続上、赤穂線を経由する。東岡山から赤穂線に入ると、途端に突き上げるような揺れが激しくなる。このあたりはやはり、幹線とサブ路線の格差だろう。満員の客も次第に減り、日生(ひなせ)あたりまで来るとすっかりガラガラになった。

  播州赤穂 18:52 → 加古川 19:47[40] [新快速 3526M/電・223系]
  加古川 20:11[10] → 市場 20:28[27] [普通 3327S/電・103系]

  兵庫県に入り、播州赤穂で新快速に乗り換え。やはり揺れはあるが、115系と比べると落ち着き感が全く違う。相生から山陽線に戻るが、その手前で徐行。姫路の手前でも徐行。ここでもまだ、ダイヤの乱れが残っているらしい。加古川到着は7分遅れだった。

 

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