1.日本海岸 いっきに北上

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 スキー急行との競走


 2004年12月29日
 (三ノ宮→)糸魚川→新潟→酒田→新庄→山形→仙台
  三ノ宮 21:59 → 大阪 22:19 [新快速 3318M/電・223系]

  年末年始恒例の「雪見旅」、このたびは日本海に沿って酒田まで北上、そこから南下して行くコースを取る。毎度おなじみの青春18きっぷを使用するが、最初の夜は夜行急行「きたぐに」での車中泊。自由席を利用するため、席を確保するために大阪駅には1時間以上前に到着した。北陸行きの列車が出発する11番ホームには、既に各乗降口あたり4,5人ほどの列ができている。

  「きたぐに」より先に、黒姫行きのスキー列車「シュプール」号が入ってきた。「きたぐに」と同じく583系での運転で、ホームの電光掲示板によれば「急行」の扱いである。それにしても、JR発足当初はスキーブームとも相まって多くのシュプール号が運転されていたのに、いつの間にかほとんどが姿を消した。道路網が拡充されるにつれ、安くで現地まで直行してくれる高速バスに太刀打ちできなくなったのだろう。(注1

  22時46分に「シュプール」は発車、次が「きたぐに」だが、通常10両のところを今夜は12両編成で運転するとのこと。ただし自由席は普段通り、後部4両のみ。列は次第に伸び、最終的には列あたり15人ほどになった。

  23時05分ごろに「きたぐに」入線。席は無事確保したが、男女のペアと相席になった。

夜行急行「きたぐに」。今宵は堂々12両 

  大阪 23:27 → 糸魚川 5:29 [急行「きたぐに] 501M/電・583系] 

  「きたぐに」は新潟行きだが、今回利用するのは糸魚川までの予定。乗車券を購入しての利用なのでできるだけ短い距離で、というケチくさい理由だ。

  特に先を急ぐでもない道中、電車は加速と惰性走行を繰り返してゆったりと進んで行く。日付が替わって京都で乗客が増え、各ボックスあたり3,4名程度の、なかなかの乗車率になった。ボックス席は独占できると結構寝やすいのだが、今回は相席の相手が相手だけに気を遣い、体勢に難儀する。こういうときは電車の空調音なども気になりだして、余計に寝付けなくなる。

  福井で先行の「シュプール」を追い抜くが、金沢でまたその姿を見る。抜きつ抜かれつで、ほぼ「きたぐに」と並行するダイヤなのだろう。そうこうするうちに糸魚川まであと2時間ほど。しばらく寝ていたようで、気づけば親不知海岸のあたりを走っていた。

  糸魚川では直江津行きの鈍行1番電車まで1時間ほどある。「きたぐに」の後を追って急行「シュプール」号が入ってきた。この先直江津まで「きたぐに」を追いかけることになるが、この糸魚川で大勢が下車した。改札の外には観光バスが待っていて、乗客の多くはそちらに乗り換えたようだ。結局こうやって朝早くに起こされ、荷物を抱えて乗り換えさせられる手間暇を考えれば、スキー場へと直行する高速バスに客が流れるのは致し方ない気もする。

  6時を過ぎ、空がわずかに明るみを帯びてきた。向かいのホームには大糸線の気動車が2両別個に待機している。1両は白地に緑のラインというもともとの大糸線カラーだが、もう1両は国鉄時代キハ52を再現したクリーム色と朱色のツートンカラーになっている。6時過ぎに大糸線カラーのほうが1番列車として発車、その後国鉄塗装車両に照明がともって、味ある夜汽車の風情を醸す。

北陸線普通電車と、大糸線キハ52

  糸魚川 6:36 → 直江津 7:12[13] [普通 523M/電・455系] 

  3両編成の直江津行き普通電車は糸魚川を出ると間もなく、交流から直流へと切り替わるデッドセクションにさしかかる(注2)。非常灯を残して車内が消灯し、窓の外に連なる雪の山々が、あけぼのの薄明かりの中に浮かび上がる。普段なら車内の灯りが窓に反射してしまうから、なかなか見ることのできない光景だ。

デッドセクション通過中の車内から

  浦本からはトンネルで内陸をショートカットし、途中には完全にトンネル内に収まった筒石駅がある。もと急行形の455系だが、トンネル内での走行音はけたたましい。この間に、糸魚川駅前のコンビニで購入したサンドイッチで朝食をとる。直江津手前の有間川で再び海際に出る。

夜明けの直江津駅。遠く北アルプスを望む

 地震の爪痕

  直江津 7:21 → 新潟 9:17[18] [快速「くびき野1号」 3371M/電・485系]

  直江津より北陸本線から信越本線に移るとともに、JR東日本エリアに入る。乗り込むのは新潟行きの快速「くびき野1号」。何とこれは特急「北越」などと共通の485系4両編成による列車だ。停車駅も特急と遜色ない。ただし特急と比べると、同じ区間での所要時間が若干長い。さすがにスピードは抑えて、特急との差別化を図っているのだろう。

  しばらく松林の中を進み、柿崎からは浜辺に出る。電車は七、八分程度の力で流す感じの走りだ。やや波の高い日本海を脇に見ながら柏崎へ。ここからしばらくは海を離れることになる。

  雪国らしいはっきりしない天気だが、内陸に入るにつれて積雪は増えてくる。そして不意に速度を落として徐行する電車。見ると時速30km制限の標識が揚がり、架線柱も真新しい。

  間もなく終わろうとしているこの2014年だが、今年の漢字には「災」が選ばれた。7月には新潟や福井などで大水害が発生(注3)、その後日本列島にこれでもかと台風が襲来、記録を大きく更新する年間10個もの上陸となり、特に最後に上陸した23号は近畿地方にも各所で大洪水をもたらした。災害への耐性が既にボロボロになったところにとどめとなったのが、台風23号からわずか数日後、10月23日に新潟を襲った中越地震だった。最大震度7は1995年の阪神・淡路大震災以来(注4)。

  新潟地方の鉄道網にも甚大な被害を及ぼし、今乗っている信越本線も復旧に1ヶ月余を要した。物流の要である日本海縦貫線の一部だけにとりあえず開通を急いだのだろう。それでもこうして徐行を強いられるあたりに、まだ暫定的な復旧であることがうかがえる。2ヶ月が経過し、車窓から見る限り建物の倒壊や山崩れなどの物理的な被害の跡は見られないが、こういうところに地震の爪痕が認められる。

徐行区間に地震の爪痕が 

  何度か徐行区間を経て山間を抜け、長岡でそれまでの乗客の多くが下車した。上越新幹線に乗り換える利用者も多いのかもしれない。

  ここからは夜行快速「ムーンライトえちご」で何度も通っている区間だが、いつも深夜早朝なので明るい時間の通過は初めてだ。平野部に入り、積雪の量は減ってくる。相変わらずゆったりペースの「くびき野」号。特急車両なので車内は静かだが、ややガタピシ感がある。リニューアルされているとはいえ、車両自体は東北や北陸の過酷な環境の中でそれなりに年季を経ているから、仕方の無いことか。特急形を快速として走らせるのは奮発したサービスだと思うが、裏を返せば、そろそろ特急として走らせるのは厳しくなってきているという自覚がJR側にあるのかもしれない。

  東三条を出ると、あとは新潟まで30分ほど。うとうとしながら過ごすうちに終点が近づいた。これまで北東から北方向に進んできた信越本線は、最後は大きく左へカーブし、西向きで新潟に入る。長岡方からまっすぐ東向きに入る上越新幹線とは逆向きになるので、ちょっと混乱する。

お得な快速「くびき野」号 

  次に乗る快速「きらきら うえつ」までは1時間ある。その間に、上越新幹線のホームに上がってみる。

  中越地震では走行中の新幹線「とき」が浦佐〜長岡間で脱線した。営業運転中の脱線は新幹線史上初めてだったが、幸い転覆や衝突には至らず人的被害はなかった(注5)。マスメディアは「安全神話の崩壊だ」などと騒いでいたが、レールの上を転がっている乗り物が縦揺れで軌道を外れるのは避けがたいことで、むしろ構造物の倒壊などによる惨事が起きず、被害を最小限にとどめられたのは褒められるべきことではないか。事の一面を必要以上にセンセーショナルに言い立て、本質を覆い隠すのがマスコミの性(さが)なのは今に始まったことではないが、どんな災害下でも全く事故が起きないのが「安全神話」だというのなら、それは文字通りの神話と同じく現実味のない話だろう。

  この脱線車両の撤去や崩壊箇所の修復などを経て、上越新幹線が復旧したのは12月28日、つまり昨日のことだった。(在来線の全線復旧はその前日の12月27日。)そういうわけで、ここ新潟駅で今「東京行き」の新幹線が見られることには大きな意味がある。当たり前に列車が来ることがいかにありがたいことか。まもなく10年が経とうとしている阪神の震災を経験した身としては、人ごとではない。

  ホームにはリニューアルを受けた200系が入っていた。地震で脱線した「とき」号はこれと同じタイプの車両だった。その隣に入ってきたのはE4系の「Maxとき」。この電車はオール2階建ての新幹線で、隣の200系と比べると車体が一回り大きく、近づく様はなかなか威圧感がある。一本道の東海道・山陽新幹線と異なり、東日本の新幹線は各方面への便がすべて東京〜大宮間に収束するため本数に制約があり、そのうえ首都圏での通勤通学需要も大きいため、収容力を増やすために「総2階建て」という苦肉の策をとったのだろう。

2か月ぶりに東京まで通じた上越新幹線 

  東京行き「Maxとき」の出発を見届けた後、駅構内の土産屋で地酒を試飲させてもらう。店員のおばさんにどこから来たかと問われ、神戸の方からと答えると震災の話題に。つい乗せられて、結局地酒を買うことになってしまった。まだ旅の序盤で荷物を増やしてしまうのは得策ではないが、手負いの新潟へのせめてもの経済貢献としよう。

 「きらきら うえつ」で東北へ

  新潟 10:17 → 酒田 12:51 [快速「きらきら うえつ」 8871M/電・485系]

  昼食用に駅弁「鮭はらこ弁当」を買い込み、ここから乗るのは酒田行きの観光快速「きらきら うえつ」である。車両は485系の改造車だというが、さきほど「くびき野」として乗ってきた車両とは似ても似つかぬ姿をしている。車体が縦長になり、側面窓も縦に広がっている。先頭部にあの炊飯器のような顔の面影はなく、前面展望を楽しめるよう運転台を下げてガラス張りにしている。パッチワークのようなカラフルな車両デザインも斬新で、従来の485系とは共通点を見いだす方が難しい。車内に入るとハイデッカー、つまり床をかさ上げした構造になっていて、その分天井も高くなり、窓の大きさと相まって開放的な印象を受ける。

出発を待つ観光快速「きらきら うえつ」 

  2001年から運行されている「きらきら うえつ」だが、なかなかに好評を博しているようで、車内は活況を呈している。全車指定席の4両編成のうち3号車に指定されている。座席は海岸側となる左側だ。ちなみに2号車はミニビュフェとラウンジを備えた車両となっている。

  新潟を出た電車は、まずは白新線に入る。このあたりもこれまで早朝深夜にしか通ったことのない区間なので、景色を見るのは初めてだ。新潟近郊の田園地帯で、まだ沿線に見るべきものはないが、右手の彼方には雪山が連なっている。

  新発田から羽越本線に入り、平野部を北東に快走してゆく。今乗っている3号車の難点は、喫煙スペースがあり、仕切ってあるとはいえやはりタバコの臭いが入ってくることだ。子どもの頃は国鉄の列車には当たり前のように灰皿が付いていて、ようやく新幹線のごく一部に禁煙車が導入されていた程度だったが、社会の「分煙」の流れの中で次第に形勢が逆転し、いつしか喫煙者のほうが狭いスペースに押しやられるようになった。それでも、普段タバコと無縁の生活をしているぶん、時折漂ってくるこの臭いだけでも興がそがれてしまう。(注6

  村上まで来ると平地が尽き、いよいよこの先が羽越本線のハイライト区間だ。まずはデッドセクションを通過して糸魚川以来の交流区間へ入る。この区間を通る普通列車はすべて気動車で運転されており、青春18きっぷで乗ることのできる「電車」はこの「きらきらうえつ」だけだ。三面(みおもて)川を渡るとトンネルをくぐり、海岸沿いへと出て行く。今日の日本海は幾分波立っているが、これまで雪見旅で訪れた中で比較すると穏やかな部類で、空も割と明るい。遠くに浮かぶのは粟島。

  桑川から先、いよいよ海岸が迫り、しばらく「笹川流れ」と呼ばれる景勝地を進んで行くことになる。海岸に沿って蛇行しながら進むその車窓には、奇岩が次々に出現し、飽きさせない。カーブが多くて速度をあまり出さないぶん、風景をじっくりと堪能できる。ただし海岸との間には国道345号が挟まり、電線や電柱が視界に入ってくるのがいささか残念だ。

羽越線のハイライト「笹川流れ」 

浮かぶ奇岩 背後には粟島 

  トンネルの出入りを繰り返し、府屋からは併走する道路が国道7号になる。新潟県から山形県へと移り、海から少し離れて日本海を俯瞰する風景もまたよい。

  あつみ温泉で乗客の多くが下車。もとは「温海」と書いていたそうで、沿線における一大観光地なのだろう。ホームにはこけしの置物が鎮座している。以前に訪ねた陸羽東線の鳴子温泉もそうだったが、温泉街とこけしには深い関わりがあるのだろう。

こけしが出迎えるあつみ温泉駅 

  やがて羽越本線は海岸を離れ、広々とした庄内平野へと入って行く。今回の旅では、もう日本海と会うことはない。電車は特急車両らしい安定した走りで雪の平原を快走する。ここまで4本の列車を乗り継いで日本海沿いを北上してきたが、いずれも古い車両ながら特急または急行として使用されていた車両ばかりで、なかなかの豪華リレーだった。南には月山、北には鳥海山が構えるはずだが、かすんで全貌はうかがえない。

庄内平野。鳥海山が背後に 

  鶴岡で乗客の大半が下車してしまい、ガラガラになった「きらきら うえつ」は終点酒田を目指すのみとなった。ここで、新潟駅で購入していた「鮭はらこ弁当」に手を付ける。鮭のそぼろといくらという、鮭の親子丼ともいえる取り合わせが面白くて購入した。漆器をイメージしたようなしっかりしたプラスチック容器に「新潟県木 雪椿」が金色で描かれ、なかなかに力が入っている。肝心の中身は、コシヒカリの御飯の上に載る鮭そぼろ、いくら共に味がしっかりついていて食の進む弁当。920円の価格からすると物足りなさを感じなくもないが、まずは期待通りの内容。

鮭はらこ弁当 

  2時間半に及んだ「きらきら うえつ」の旅。最後は最上川を渡り、酒田へ至る。

 注記

  注記の内容は2016年12月現在。

  1. 「シュプール」号は2005年度を最後に運転がなくなった。

  2. 北陸新幹線金沢開業(2015年3月)に伴いこの区間は「えちごトキめき鉄道」に移管。デッドセクション区間はJRからの乗り入れ列車を除き、すべて気動車で運転される。

  3. 7月の福井豪雨で越美北線では橋梁流失などの甚大な被害が発生し、全線復旧には約3年を要した。2006年3月の北陸旅行では代行バスを利用しての越美北線乗りつぶしを計画していたが、体調不良で断念している。

  4. 気象庁により初めて震度7と認定されたのが1995年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)だったが、当時は地震計での計測では震度6までしか反映されず(震度7は家屋倒壊状況などで認定される規定だったため、調査のうえで後日震度7と判定された)、地震計で震度7が観測されたのは2004年新潟県中越地震が最初だった。その後は2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)、2016年熊本地震(4月14日と16日の2度)にて震度7が観測されている。

  5. 阪神・淡路大震災のときには山陽新幹線の橋脚の倒壊などが起きたが、営業運転前の時間だったので新幹線列車への影響はなかった。東日本大震災では東北新幹線の試運転列車が、熊本地震では九州新幹線の回送列車が脱線している。いずれも幸い、営業列車への被害は出ていない。

  6. さらに最近では車内の全面禁煙へと移行しており、「きらきら うえつ」も現在では全面禁煙となっている。

 

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