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 童心に返るとき


 2003年5月4日
 道場→大阪→亀岡→丹波口→京都→奈良→東羽衣→道場

  2003年5月4日。ゴールデンウイークのさなか、近畿圏内の日帰り旅行を企ててみる。しかし今回は、明確な予定や行き先は定めていない。ふだんはあらかじめかなり具体的に煮詰めたうえで出発するのだが、たまにはそのスタイルを捨て、「気の向くままに」出かけてみたいと思う。

  このたびは、「京阪神おでかけパス」という切符を使用する。これは京阪神や奈良、和歌山といった、いわゆるアーバンネットワーク圏内の路線に1日乗り放題という切符で、青春18きっぷと違って特急券を買えば特急にも乗車できる。今回の無計画旅行を企画したのは、この切符の存在による。

  道場 6:09 → 宝塚 6:22 [普通/電・201系]

  朝6時。福知山線道場駅前の駐車場に車で乗り付け、普通電車に乗り込んで、とりあえず大阪方面を目指す。この時期、まだ朝の冷え込みは厳しく、窓からのすきま風でゾクゾクする。国鉄時代の電車はどうしてこうも気密性が悪いのか、と思う。

  宝塚 6:28 → 尼崎 6:47 [快速/電・207系]
  尼崎 6:48 → 大阪 6:54 [快速/電・221系]

  宝塚で後発の快速に乗り換えると、こちらは新型の207系車両で、同じ通勤タイプでも居住性は全く違う。川西池田で、先ほど乗っていた普通列車を追い抜き、快速のわりには比較的緩慢なペースで南下して、尼崎へ。そしてひと区間だけ神戸線快速に乗り、大阪に到着したのが6時54分。

  朝の大阪駅は、鉄道ファンにはたまらない世界だ。ひっきりなしに出入りする近郊電車。夜の勤めを終えて集結する夜行列車、そしてこれから遠くの地へと旅立つ長距離特急。JR世代の新型もあれば、国鉄譲りの旧式も混じっている。そのすべてを目の当たりにできるのは、この時間帯のここしかない。まさに、生きた列車の博物館である。

  思い起こせば、小学5年の、やはりゴールデンウイークに、初めて一人で‘国鉄’大阪駅に来た。喜び勇んでホームを駆け回り、たくさんの列車の写真を撮った。その後、高校2年の春にも、今度は‘JR’大阪駅を訪れ、やはり写真を撮りまくった。被写体となる列車たちの顔ぶれはずいぶん変わったし、自分自身ももう30が近いのだが、その同じ場所で、10歳の自分と全く同じ事をしている自分が、我ながら滑稽に思えてくる。「列車大好き」という根っこの部分で、自分はなんにも変化していないということだ。

20年前とほぼ同じ姿で走る特急「雷鳥」 

大阪を発着する新快速。背後にマルビルがそびえる 

  時の経つのも忘れ、ホームとコンコースを行ったり来たりして過ごすうちに、時刻は9時をまわった。まだなんとなく名残惜しいが、あまりここで長居すると後が厳しくなり、せっかくの「おでかけパス」のうまみが逃げるので、そろそろ出発しよう。無計画旅行なのでどこへ行ってもよいのだが、とりあえず京都を目指すことにする。その先のことは、列車の中ででも考えよう。

  大阪 9:24 → 京都 10:03 [快速/電・221系]

  京都へは新快速が速いが、そのぶん混雑も激しいので、ここはあえて快速に乗り込む。狙い通り比較的すいており、次の新大阪で着席できた。快速とて決して遅くはないのだが、新快速の速さが尋常でないので影が薄い。たとえ混んでいても早く着けるほうを選ぶのが関西人気質だが、おかげで余裕を持ちたければ快速に乗ればいいという選択肢も開かれ、利用者には結構なことだ。

  途中、向日町で後発の新快速に抜かれ、京都には10時03分の到着。「黒塗り御殿」とでも言おうか、仰々しい駅ビルの麓に列車が発着する。

  さて今後の予定だが、京都には「嵯峨野観光鉄道」というのがある。これは、山陰本線の保津川に沿って走る区間(嵯峨嵐山〜馬堀間)がトンネル化されたときに、風光明媚な旧線を観光トロッコ路線として再利用したもの。とりあえずそちらへ向かって、楽しそうなら乗ってみようかと思う。

 トロッコは人・人・人

  駅西側の行き止まり式ホームから、山陰線の列車は発着する。亀岡行きの8両編成は、おもしろいことに、駅ビルに近い後ろ側は大混雑だが、ホーム先端側の先頭車はガラガラ。ホームの係員も前方へ行くよう呼びかけているが、勝手慣れない観光客の場合、人が多いところにいるほうがむしろ安心するのかもしれない。

  JR西日本という会社は、京阪神の本線系統には新車を次々投入するのだが、一歩脇道に入ると、そこから追い出された旧式車両のたまり場になっている事が多い。山陰線がまさにそれで、かつて本線で快速として走っていた113系電車の独壇場だ。先頭側はそのまた旧式で、トイレの近くに座ると何となく臭う。これはひどい。

  京都 10:16 → 馬堀 10:48[46] [普通/電・113系]

  京都の町並みを高架線で抜ける。「本線」といいつつ部分的にしか複線化されておらず、たびたび対向待ちを強いられる。山が近づいてきて嵯峨嵐山。ここは有名な観光地だけに、客の乗降はかなりのものだ。ここから山陰線は保津峡を避けて山の中をバイパス線で突き抜ける。つまらない区間だが、トンネルの間からちらりと見えた新緑の保津峡は、さすがに美しい。ここまで来たからにはやはり、トロッコに乗らねば。

  トンネルを抜けた馬堀で列車を降りる。トロッコの出発駅、トロッコ亀岡駅は、山陰線に沿って引き返す方向に歩いて10分ほどの所だ。さて、すんなりと乗れるのだろうか・・?

  駅に近づくと、なにやら人が続々と降りてくる。ちょうど列車が到着したばかりらしく、客の大半は保津峡下り舟の乗り場に向かうようだ。なるほど、トロッコと舟で保津峡を二度楽しもうという定番コースなのだろう。

  今着いた列車の折り返しに乗れれば、ちょうどよいタイミングだ。ところが、駅舎に向かう通路は幅の狭い一本道で、降りてくる客の流れに逆らって上ってゆくのは不可能だ。仕方なく、降りてくる客の流れがやむのを待って駅舎に上ったが、やっとたどり着いたころには、ホームはがらんとしていた。

  次の列車までは1時間ある。予想はついたことだが、指定席はもう完売しているので、当日券は立ち席になるという。それでも運賃は同額。不公平とも思えるが、こんな繁忙期の「飛び入り」である以上、乗せてもらえるだけありがたいと思うしかないか。

  しばらく時間をつぶさねばならないが、この駅の周囲はまさに原っぱで、たいして見るべきものがない。観光鉄道の終点としては寂しいが、要するに「トロッコ+川下りコース」の中間点扱いに過ぎないのだろう。

トロッコ亀岡駅。ホームは築堤上 

  さきほどのようなことになっては困るので、早めにホームに上がっておく。このホームがまた狭いうえに、列車の時刻が近づくにつれて混雑してくる。観光列車なのだから、初めからもう少し余裕を持った造りにしておいてくれよとも思うが、当初はここまで繁盛するだろうとは考えていなかったのかもしれない。

  やがてゆっくりと、列車がホームに入ってきた。嵯峨側に連結された機関車が5両の客車を押してくる格好で、向かってくるのは客車の顔だ。立ち客を含め、車内には人がひしめいている。そこから降りる客とこれから乗り込む客で、ホームは一時混乱状態になった。やはりこんな時期に来るものじゃなかったな、と後悔する。乗り込んだのはオープンカーの5号車。折り返し列車の一番先頭側となる。トロッコらしく、壁はめいっぱい取り払われ、何だか心許なささえ覚える。

超満員の客を乗せて、亀岡駅へ入ってきたトロッコ列車 

  トロッコ亀岡 11:56 → トロッコ嵯峨 12:23 [嵯峨野観光トロッコ/客]

  列車はそのまま折り返し、嵯峨嵐山を目指すことになる。客車はディーゼル機関車に引っ張られて、ゆっくりと出発。トンネルへ入ってゆく山陰線と分かれ、保津川に寄り添う貧相な線路へと進んでゆく。機関車の加減速の振動、そしてガッタン、ガッタンとレールの継ぎ目を踏む足音が、床からじかに伝ってくる。立ち席の不安定さゆえ、かえってその息づかいを満喫できる。これぞ飾り気のない「汽車」の味だと思う。

  そして車窓の右に左に広がる保津峡の渓谷美。山を彩る新緑と、その中に混じる草花の色。混雑という点では最悪の時期だったが、こういう風景を見るとやはり来た甲斐があったかなと思える。川下りの舟から手を振る人々に、こちらの乗客も身を乗り出して、嬉々として手を振る。

保津川の渓流が、車窓の右へ左へ  

  やがて保津峡を出て、列車は最後に山陰線の線路に合流する。相変わらずのんびりと進むトロッコのすぐ脇を、後ろからやってきたJRの快速電車があっというまに追い抜いていった。これで別世界から現実に引き戻された。

  長すぎず短すぎず、ほどよい頃合いで、トロッコの旅は30分弱の行程を終えた。到着したトロッコ嵯峨駅のホームには、これから列車に乗ろうという客があふれかえっていた。その数は亀岡駅の比ではない。川下りとのセットで考えると、メインはやはり嵯峨→亀岡の方向なのだろう。その反対側を選んだのは、結果的に賢明だった。

  嵯峨嵐山 12:42 → 丹波口 12:58 [普通/電・113系]

  さて、ここまで来たからには、さらに京都の梅小路蒸気機関車館に行っておこう。ナマのSLに出会える数少ない施設であり、私自身は中学生の時に訪れて以来である。山陰線の普通電車に乗り込み、京都の1つ手前、丹波口で下車する。

 SLにしびれる快感

  梅小路蒸気機関車館は、JRの施設にもかかわらず、鉄道を利用して訪れるには不便な立地だ。ちょうど、東海道線(京都線)と山陰線のなす「三角州」の中央に位置するのだが、京都駅からだとバスに10分ほど乗らなければならない。そこで「裏ルート」ともいえる、山陰線丹波口駅からの移動である。

  丹波口は立派な高架駅だが、駅構内はどことなく閑散としている。一応、梅小路はあちら、という看板が掛かっている。それに従って、これまたひっそりとした高架沿いの道路を歩いて南下する。距離にして1km弱、しかしなんとも暑い。このムッとした暑さは、盆地の京都特有のものか。5月の上旬なのに、すでに30度近くありそうだ。たいした距離ではないはずなのに、ずいぶんと疲れた。

  十数年ぶりに訪れた蒸気機関車館。もと山陰線の二条駅舎だった古風な建物が移築され、表向きの雰囲気はだいぶ変わっていた。それでも、中に入り、SLが展示されている扇形車庫の前に立つと、少年の日の訪れた記憶がよみがえってくる。古びてすすけたコンクリートの車庫と、そのなかに収まってこちらを見つめる黒い機関車群。染みついた煤煙の臭い。

蒸気機関車館本館は、元二条駅舎 

  連休期間中とあって、場内は特に家族連れでいっぱい。イベントも多く、C61機関車が牽引して数百メートルの線路を走る「スチーム号」の乗り場にも行列ができていた。SLが汽笛を発する前に、係員がその旨を周囲に呼びかける。警笛の前に警告をするとは、考えれば滑稽だが、周囲の会話がやみ、子供たちが耳をふさぐ。

   次いで、腹の底に響くけたたましい汽笛。間近に立つと文字通り、空気がびりびりと振動するような轟音だ。たまりかねて泣き出す子供も何人かいる。だがこの「しびれる」快感は、ほかでは味わえない。

けたたましい汽笛と煙を披露してくれる「スチーム号」 

  もともと全国の路線を縦横無尽に駆けていたSLが、こんな狭いところで行ったり来たりして見せ物になっている姿は、まるでサーカス場のライオンか何かのようだ。そうは言っても、このように実際に汽笛を鳴らし、煙をあげて線路の上を走る蒸気機関車に出会えるのは、やはり貴重な経験だ。昔私が「やまぐち号」に乗ったときにノートに書きとめた、「SLは乗るより見る方がよい」という言葉を思い出す。この黒い乗り物には、人を童心に返らせる何かがあるのだろう。

扇形機関庫で勇姿を見せるSLの数々 

  うろうろするうちに暑さで参ってきたこともあり、今回はこのあたりで蒸気機関車館を去ることにする。バスに乗り、JR京都駅に着くと、今日もすさまじい人の波。駅のホームで遅い昼食として、きつねうどんを食する。あげの大きなきつねだった。

京都タワーを映す、JR京都駅 

 盲腸線に乗って自己満足

  時刻は15時をまわったところ。炎天下を結構歩き回ったので、おもいのほか体力の消耗が激しく、これ以上どこかで観光する気にはなれない。とはいっても、せっかく乗り放題の「おでかけパス」を使用しながら、このまますんなり新快速に乗って引き揚げてしまうのも、もったいない。やっぱりもっと距離を稼がねばと、ケチくさい根性が働き、ひとまず奈良線に乗って奈良へと南下することに。

  京都 15:20 → 奈良 16:02 [みやこ路快速/電・221系]

  京都と奈良という代表的な古都を結ぶ路線でありながら、国鉄時代には冷房もない古びた通勤電車がのんびり走るローカル線だった奈良線。並行する近鉄に大きく水をあけられていたが、JR化以降、快速が走り出すなど大幅な改善が図られ、近郊路線らしい体裁を整えるまでになった。快速には当初、新快速のお下がり117系が、そして今では221系が使用され、「みやこ路快速」の愛称が付されている。アーバンネットワークの中でも顕著な出世例である。

みやこ路快速 

  奈良行きの快速は4両編成。「みやこ路」になって初めての利用である。運転席後ろに立って見ていると、ずいぶん狭苦しくカーブの多い路線だということに気づく。京都寄りで一部複線化されているが、大半は単線で、昔のローカル線の雰囲気を色濃く残している。そんな線路だから速度はせいぜい80km/h程度、最高でも100km/hまで達しなかった。かつて117系時代に乗った快速は、もっと高速で頑張って走ってくれていたイメージがあったので、ちょっと拍子抜けしたが、おそらくスピード自体はさほど変わっておらず、現在の221系のほうが性能が上がって余裕があるぶん動きが緩慢に感じられるのだろう。ある意味、損な役回りかもしれない。

  奈良に近づくと、線路沿いの道路が渋滞してきた。そろそろ行楽帰りのラッシュの時間だろうか。自動車の長蛇の列の横を駆け抜けるのは、鉄道派が優越感に浸れる数少ないシチュエーションである。

寺社風建築?の奈良駅。建て替えが予定されているらしい 

  京都から42分で奈良に到着。大和路線(関西本線)に乗換えて、天王寺へ向かう。

  奈良 16:11 → 王寺 16:25 [区間快速/電・221系]
  王寺 16:37 → 久宝寺 16:57 [普通/電・103系]
  久宝寺 16:58 → 天王寺 17:04 [区間快速/電・221系]

  今日最後に目指すのは、天王寺から和歌山へ向かう阪和線の途中にある、短い支線である。通称「羽衣支線」とよばれるこの線は、阪和線の鳳(おおとり)から分かれて東羽衣へと至る。今や、私が近畿のJR線の中でまだ手を着けていないのは、この線と和歌山線だけだが、羽衣支線はたった1.7km。文字通りの盲腸線である。そこにわざわざ出向いて乗りに行くというのは、自己満足以外の何ものでもない。

  天王寺 17:10 → 鳳 17:26 [紀州路快速/電・223系]

  天王寺から快速で15分ほど南下するとに着く。阪和線本線のホームと別に、独立した短いホームがある。この構造が羽衣支線の待遇を物語っている。まもなく入ってきたのは、青い103系の3両編成。車掌のいないワンマン運転らしい。外見は古ぼけているが、車内のシートは張り替えられている。この電車が、1.7kmを終始行ったり来たりしているわけだ。

  鳳 17:32 → 東羽衣 17:35 [普通/電・103系]

  鳳を出ると、大きく右へカーブして本線から離れ、線路は高架に上がってゆく。単線の線路が高架の上にまっすぐ伸びる様には、どこか違和感を覚える。まもなく行く先に東羽衣のホームが見えてきて、電車はスピードを落とす。高架線はここで唐突に終わりを迎え、乗ってきた電車はそのまま、折り返し鳳行きとなる。

東羽衣駅。その先に線路はない 

  東羽衣 17:37 → 鳳 17:40 [普通/電・103系]
  鳳 17:44 → 天王寺 17:58 [快速/電・103系]
  天王寺 18:05 → 大阪 18:23 [普通/電・103系]
  大阪 18:55 → 川西池田 19:11 [快速/電・221系]
  川西池田 19:13 → 道場 19:35 [普通/電・201系] 

  ともあれ未乗区間を一つ制覇した自己満足に浸りつつ、すでに夕闇の迫る阪和線を北上して来た道を戻る。大阪から福知山線の快速に乗って家路を急ぐ。もう車内で立っているのも辛い。あえて計画を定めない「行き当たりばったり」だった今回の旅行は、それなりに楽しかったものの無駄な動きも多かった。やはりこれは、自分のスタイルではなかったようだ。

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