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2002年3月21日 加古川→大阪→和歌山→南部→大阪→加古川 |
今回はズバリ、「最後の165系に会う旅」。急行形の電車として、私の旅行の中で何度もお目にかかった165系も、老朽化に伴って廃車が進み、オレンジと緑のいわゆる「湘南色」で定期的に走るのは、ついに紀勢本線だけになっていた。その紀勢線からも、2002年3月23日のダイヤ改正で消えることになってしまった。そこで、定期運転最終日の前日となる21日(春分の日)、半日を使って乗車しにゆくことにした。
この日は、朝から猛烈な風。折しも黄砂の季節で、外にいるだけで肌がザラザラになっていくのが実感できるほどだった。えらい日を選んでしまったものだと思いながら、高架化工事中の加古川に着くと、下り列車が20分以上遅れているとのこと。しかも、関空線は強風で通行止めらしい。今から乗るのは上り電車だし、直接運休にはかからないものの、一抹の不安がよぎる。
というのも、この1月の旅行で、自分のミスにダイヤの乱れが重なって予定が狂い、想定外の出費を強いられた前例がある。特に今回は、目的の165系に乗れないとでもなれば、これほどばかばかしいことはない。
新快速でまずは大阪を目指す。西明石を過ぎたあたりで、たてつづけに2本の新快速とすれちがう。明石海峡は白波が立つ荒れ模様。これまで見たこともないような、異様な光景だった。
大阪に着き、環状線ホームへ。和歌山行き紀州路快速は…なんと、運休と。併結する「関空快速」が止まった余波を受けたらしい。まだ接続に余裕はあるものの、下手をすれば途中でアウトになる可能性が現実味を帯びてきた。
ともかく、先回の教訓から、前倒しで乗り継いでゆくことにし、次に来た環状線の電車で天王寺を目指す。
いつもながら、大阪環状線は色あせたオレンジ色の103系で、ゴツゴツと乗り心地が悪い。運転席の後ろに立っていると、運転室に激しい風切り音が鳴り響いている。運転士の職場環境も劣悪そうだ。
天王寺からは、日根野行きの快速に乗車。南下につれて、天気は快方に向かい、ひとまずは一安心だが、風とダイヤが相手だけにまだ油断はできない。
日根野では先の接続がなく、結局後続の和歌山行き普通まで12分待ち。関空への海上区間が通行止めのため、関空線の列車は手前のりんくうタウン発着になっていた。和歌山へは、ダイヤ通りなら普通の次の快速が先着する予定だが、その快速がちゃんと来るとも限らないので、とにかく前倒しで進んでおく。
和泉砂川に着くと、ダイヤどおり快速が追いつき先発するとのことなので、そちらに乗り換えて和歌山を目指すことに。
和泉砂川にて。「白浜パンダ」のヘッドマークを掲げる阪和線電車
列車はこれまでの平野部から一転、県境の山越えにかかる。沿線では山桜が咲きかけ。これが咲き出せば、さぞかし見事なことだろう。
ここまでくれば、もう接続は大丈夫。和歌山に到着すると、緑とオレンジのあの電車は、しっかりホームで待っていた。すんなり紀州路快速に乗れていれば、30分近い余裕があったはずだったが、結局接続はわずか6分。足早に乗り込み、出発を待つ。鉄道が定時を保って走るという、あたりまえのことが、いかにありがたいことかと、こんなときには痛感する。
やはりというか、車内には私の同類とおぼしき人が少なくない。席がざっと埋まる程度の混雑で、電車は紀伊田辺へ向けて出発。
和歌山市街を離れると、たちまちローカル然とした雰囲気になり、電車はそう急ぐともなく、ぼちぼちペースで紀勢本線を南下してゆく。海南を過ぎると、紀勢線の車窓の友となる太平洋が近づき、トンネルを出入りしながら進む。
山腹まで広がるみかん畑。東海地方のみかんやお茶のイメージで語られることのある「湘南色」だが、同じくみかんの名産地であるここ紀州で、湘南色の165系が終焉を迎えるというのも何かの縁か。
箕島で、特急をやり過ごすために6分停車。紀勢線は特急優勢の路線で、鈍行はその合間を進む格好だから、こういう停車が付き物だ。いい機会だとばかり、ホームに出て写真を撮っておく。まもなく、特急「くろしお」がホーム向かいに入り、先に出発していった。
「急行形」とはいえ、旧式の足回りならではの「ブワーン」という低いモーター音を響かせ、電車は一旦内地へ。こんなふうに「電車に乗って旅してます」という気分にさせてくれる車両は、今や稀有な存在。できれば、実際「急行」として走っている間に乗っておきたかったものだが、それはもはやかなわない。せめて、残り少ないこの機会を十分堪能しておきたい。
御坊から再び内地に入り、軽く峠越え。印南(いなみ)駅の手前では、ユニークな「かえる形」の橋の下をくぐり、やや単調になってきた車窓風景にインパクトを添える。
切目から先、紀勢線はひとつのハイライトを迎える。延々と続く岸壁、そこを列車が進んで行くのだ。眼前にダイナミックに広がる太平洋。折からの強風にあおられて荒波が立ち、暗い空が陰鬱な雰囲気を醸している。
そんな海から、南部(みなべ)手前で少し離れる。私は、この海岸風景に魅せられて、南部での下車を決意した。当初の予定では、終点の紀伊田辺まで行って、そこから折り返すつもりだったが、それより2駅手前で切り上げる格好となる。
下車した165系を見送り、降り立った南部駅。梅の名産地で、有名な梅園もあるという南部なので、駅前に梅の置物など置いたりして、さぞかし町をあげてPRしているのかと思いきや、それらしきそぶりはみじんもなく、拍子抜け。駅前からまっすぐ海に向かって道が続いているので、通り雨に打たれつつ歩いてみる。
海岸へ出ると、砂浜が延々と続いている。ここまでくれば太平洋も外海、激しい波風がダイレクトにやってくる。水はにごり、相変わらずざらざらした不快な風が強烈に吹き付ける。しかし雲の切れ目から、西に傾いた陽がさし、白波立つ海面に輝く姿には感動を覚えた。昼まで兵庫にいたのに、今ここで眼の前に広がる太平洋を眺めているとは…信じられない気分になる。
全くひとけのない海岸でしばらく潮風に吹かれた後、南部の町を少し歩いて駅前に戻る。梅の木があちこちに見受けられるが、もう花の季節は終わり、枝には若葉が芽吹きだしていた。
復路となる南部17時55分発の和歌山行きは、さきほどの電車が紀伊田辺まで行って折り返してきたもの。先に通ってきた海岸路線をゆくころ、ちょうど夕日が海の上に降りてきた。絶妙のタイミング、そしてロケーション。散々ハラハラさせつつ、最後に晴れ渡ってきた空模様にも感謝しながら、この雄大な風景を満喫したのだった。
海岸を離れると、もう外は暗くなる一方。それに伴って、「最後の紀州165系」の旅も、残り少なくなってきた。どことなくのんびり、そしてゴロゴロ響くような走りに身を任せているうちに、いつの間にか居眠りしていた。鉄道旅行における至福の時であるが、もったいなくもある。
そしてついに和歌山到着。これで本当に、この電車ともお別れとなる。おそらく、このカラーリングの165系に乗ることはもうなかろう。名残を惜しみつつ、数枚写真を撮って、立ち去った。
和歌山からは「紀州路快速」で大阪へ直行。大阪のネオン街を眺め、新快速に乗り換えて加古川へ。こうして、紀州へのミニトリップは終わりを告げた。
…が。この旅行後、顔の肌がガサガサに荒れてしまった。黄砂交じりの強風にさらされたのが、よほどのダメージだったらしい。このガサガサ、その後しばらく治らなかった。